Statement

曖昧で変化していくものや見えないものを絵画によって視覚化し、 風景や情を通して人を描きたいと考えています。

幼い頃、目の疾患から自分と他者の視界の異なりを経験をしたことで、 見る・見えるということに常々興味を抱いてきました。

自分とは異なる視界を知覚したことで、見るという行為には知識や思考、情が大きく影響していることを感じるようになり、それらによって見え方や捉え方が変わる人そのものへの興味へと変化しました。

人は何を見て、何を思い、何を考えるのか、ということについて、一番身近な人である自分自身を用いて、その思考や心の機微を絵画に置き換え、留めることで、見てみたいと思っています。

制作時には個人的な思考や心情を用いますが、制作を経て出来上がるものはフラットで、人が思考する余白を持つ中庸な絵画を目指しています。

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​制作について

私が日本画技法を選択した大きな理由に水の存在があります。

水が乾く際、絵の具の粒子はその引き際に沿って層を形成していきます。

大地に雨が降り、土地が削られて地形を作るように、自然現象を追体験するように水と粒子を流し描いていきます。

ただし、それだけではただの絵の具の塊でしかありませんので、常に目の前の絵がどのような風景に見えるか・見えているかに、気を配り、 記憶の中の風景の色や形と照らし合わせながら進めていきます。

鑑賞者が画中に作家の息遣いを感じるのではなく、ただ存在しているだけの自然の風景のような絵画を描くことが制作のひとつのテーマです。

人の意思を100パーセント通すことが難しい水を用いることで、画中から余分な熱が取れフラットな画面となるのではと考えています。

 

2014年より、「人の風景」と題し、実際の風景をもとにした色や形に主眼を置いた作品を制作をしてきました。

2020年、様々な場所へ赴きモチーフを得ることが難しくなる中で、一番身近なところにある自分自身を取り巻く風景、自分自身の視界とものの捉え方に目を向ける時間が増え、

これらを画題とした制作を始めました。

「人の風景」では現実の風景の色や形が作品のなりたちにありますが、「人の境界」では自分自身の選んだ色や形、そして気分のようなもので画面を構成しています。

これまで避けていた自分自身の思考を丁寧に掬い、何を見たいのか・何が見えているのかを画中に残し、視覚化することが難しいものを描き出す試みを行うことで、

絵画としての強さを持った作品を作りたいと考えています。

同じく新たに取り組む画題「Visibility」では肉眼での風景と空間の見え方を忠実に描き出す試みを行っています。

私の目の疾患は生活には全く支障がないものの、目に映るものがすべて粒子状に見え、特に真っ暗な夜闇は黒として見えません。

夜が暗ければ暗いほど辺りを埋める粒は鮮明に見え、夜は明るく、空気が動くように辺りが光ります。

粒子を介さない見え方についてはテレビや写真から学び、知識として理解し想像することができます。

しかし、このことから人が何かひとつのものについて話し・共有する時、それが同じものであるという前提の不確実さについて、幼い頃から抱えてきた疑問がありました。

他者との見え方の差異に気づいた日から現れた視界に起因する離人感は、日常の一部となり置き去りになっていましたが、 何を見たいのか・何が見えているのか、を捉えて肯定する試みを行うことはこの先の制作を続けるにあたり非常に重要であると感じ、新たな画題として取り組んでいます。

現在描いている作品群は日本画絵の具の特性でもあるのですが、立ち位置によって見える光が異なるように手を入れています。

絵というものは固形の物質であるので実際の風景のように動くことはありませんが、光を変化させることで、日々刻々と変わっていく風景のように印象の変わる作品を目指しています。

それは私自身が常に見ている空間に漂う粒子の動きでもあり、絶えず変化する人の意識にも似ているのではないかと考えています。

2021.9